美しい日本語の将来

美しい日本語の将来

汚い言葉を平気で使う親が多いことに私は憤りを感じずにはいられません。ある程度落ち着いた年齢の両親の方は、小さなお子さんに対して言葉を選んで発しているので安心できるのですが、若い、20代前半くらいの両親が子どもに対して発する言葉は、とてつもありません。

親が汚い言葉を使えば、当然子どももその言葉を覚えて使うようになります。これって絶対良くないことです。

よく、子どもに悪影響なので暴力的な行為は発言がTVのバラエティ番組で発せられるとやたらと苦情が入れられるという風潮がありますが、TVなんかは見せなければよいだけです。でも子どもは親を見ずには育ちません。親が汚い言葉を使う使わないほうが、よっぽど子どもには影響があるのです。

なぜ、子どもに対して汚い言葉を発してしまうのか。その答えは簡単だと思います。親が日常的に汚い言葉を発しているので特別、子どもに対していけないことをしていると感じていないからです。いけないと思っていたら絶対に汚い言葉なんて使いません。

逆に子どもが汚い言葉を発しているのを見かけると、親がどのような人なのか容易に想像することができます。

子どもが汚い言葉をどんどん使うようになると、どう困るかというと、日本語の将来が不安になることです。

子どもたちはやがて成長し、社会の一員として働き機能します。なんだか機械的な言い方かもしれませんが、事実そうです。そうやって日本という国を支える駒となるのです。

そして大人になった子どもたちは結婚して、子どもを持ちます。その子どもたちに言葉を覚えさせるのはかつて汚い言葉を聞いて育った子たちです。同じく汚い言葉で子どもを育てていってしまうことでしょう。

こうして日本語はどんどん汚くなっていってしまうのではないかと、私は不安で仕方ありません。こんなにも素晴らしい言葉を汚して廃らせてしまうのは、罪です。

ただでさえ昨今はインターネット普及の弊害として不明瞭な言葉、いわゆるネッ用語が増えて一部で蔓延っています。それらが決して悪い側面しかないとまでは言いませんが、多少規制しなければ日本語の将来を汚してしまう気がします。

インターネットは確かに普及していますが、誰もが利用していて当たり前のものではありません。そのようなものをベースに使用されるネット用語が普及しすぎてしまうのは、絶対に避けるべきだと私は思います。

たとえ美人でも

私は経理関係の事務員をしているのですが、本社のビルで働くこともあれば顧客の来店がある店舗で働くこともあります。その日の仕事の内容で勤務場所も変わります。

事務員という職種上、あまり他ではない働き方だなあとは思いますが、いい気分転換になっています。店舗で働くときは、人手が足りなければ接客やお茶出しもします。

先日、道ですれ違えば思わず振り向いてしまいそうなとってもキレイな女性が来店されていました。

隣には男性がいて、恐らく旦那様ではなく恋人であろうという感じでした。男性はいたって普通の感じだったので、よくこんな美人を捕まえられたなあと誰もが思っていました。

その時はちょうと人手が足りなかったので、私がお茶を入れてお席までお持ちすることになりました。美人の顔を拝めるということで、ちょっとワクワクしていました。

二人が座っている席まで行き、失礼しますとお茶を出していきました。

別になんてことはない、と言われればそうなんだと思います。現に同じような人はいくらでもいます。ただ、なんとなくショックだったといえばいいでしょうか。

私がお茶を出した時に、お礼や会釈といった反応が何もなかったのです。大抵の人は「ありがとう」とか「頂きます」とか、何かしら一言かけてくれるものです。

私も同じようにお礼を言うタイプなので、それが返ってこないことが不思議でたまりませんでした。

そんなつもりはないのかもしれませんが、「してもらって当たり前」という気持ちが出ているような気がしたのです。だからお茶が出てきてもお礼のひとつもいえない。

お客で来たのだから、お茶ごときで礼をいうまでもないと言われればそうなのかもしれません。ただ何事も「やってもらって当たり前」という気持ちはいただけません。

どんなにいい人でも、どんなに美人でも、どんなにお金持ちでも、人が自分のために動いてくれているなら礼を言う。それが礼儀です。

美人だからこそ、そういったことが出来ないのが鼻についたのかもしれません。たとえ器量が悪くても、にこっと笑ってありがとうと言えるほうが何杯もステキです。

礼儀をわきまえた美人には勝てないかもしれませんが、鼻につく美人というのはやはりいるものだなあと、妙に感心してしまいました。

世の中には色々な人がいるものです。人の振り見てわが振りなおせ。私も気をつけたいと思います。